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惑星ソラリス 1972年旧ソ連 鑑賞
監督:アンドレイ・タルコフスキー
脚本:アンドレイ・タルコフスキー、フリードリッヒ・ガレンシュテイン

【キャスト】
・ハリー:ナタリア・ボンダルチュク
・クリス・ケルヴィン (心理学者):ドナタス・バニオニス
・アンリ・バートン (宇宙飛行士):ウラジスラフ・ドヴォルジェツキー
・サルトリウス (天体生物学者):アナトーリー・ソロニーツィン:
・ギバリャン (物理学者):ソス・サルキシャン
・スナウト (サイバネティックス学者):ユーリー・ヤルヴェト

年ぶりの再鑑賞。※古い映画と言うこともあって、ネタバレあります。
久しぶりと言う事もあって既視感は薄い。全く忘れている訳では無いが、シーン毎、カット毎にいろいろと考えながら観る事が出来た。以前、鑑賞した時は半分脳味噌が眠っていたように思う。確かに前半部分の延々と続く旧東京のハイウェイのシーンは、BGMも無く退屈で今回も眠りに誘ってくれた。でも、当時はこの東京のシーンは監督にとっては未来都市のイメージそのもので目新しかったに違いない。追い越していく黄色いタクシーや他の自動車にはエンジン音では無く、モーター音を宛がっている。日常的に聴くエンジン音では無い。そんな事を考えていると、眠気も追い払う事ができる。
 冒頭、主人公クリスの家のシーンは一見退屈なシーンが続くが、重要なシーンでもある。カメラのレンズが悪いのかトイカメラの様なトンネル効果が出てしまっている。トンネル効果と言うのは写真の真ん中が明るく画面はしに行くほど暗くなっていく。水面下の流れにたなびく水草のカット。決して綺麗とは言えない水面。クリスの顔がカットインし、湖から背の高い草の生える草原に立っているクリスの俯瞰からのショット。草原を抜け、林を左から右へ横切っていくクリスのロングショット。お茶会後の屋外テーブルの脇にあるイスに座ってどしゃぶりの雨に打たれるままになっているクリス。―この屋外で雨に打たれているクリスのシーンはラストに大きく関ってくる。―
 予算も少なかっただろうし旧ソ連政権下の制約も大きかったに違いないだろうと思う。のちにタルコフスキー監督は「意図的に観客を退屈させるような作風を選んだ」と述べているらしい。どのような意図だったのかと推測してしまう。作品内でクリスは、ソラリスでの観測研究を続ける意味があるのかどうか確認する任務を与えられている。軍服っぽい制服を着たパイロット(?)はソラリスの研究をやめる事は宇宙征服に対しての侮辱だと、中止に反対する。これは国の宇宙開発政策の代弁か?そう考えると、観測研究を辞めろと言っている側は、予算を地球(国民の生活)に使えと言っているのか?それを判断するクリスの立場が、タルコフスキー監督自身の事なのか?と、いろいろ考えさせられる。もし、観客を退屈させない娯楽作品であったなら、この様な監督の意図は気付きもしなかっただろうと思う。もちろん、コレは自分の勝手な考えであって、本当はどうだったかなんて解らない。
クリスがソラリスの宇宙ステーションに付いてからが、また理解が難しい。ステーション内のクリスの自室で、ギバリャンの遺書となる録画を見るシーンで、部屋の外で何か音がする。普通なら、ここでモニターを消して物音の原因を確かめようとドアを開けて確認しようとするだろうと思うが、クリスは確認もせずに半開きのドアを閉めてしまう。この段階でクリスはステーション内にはクリスを含めて3人しかいないはずと思っているはず。誰かが伺っているのなら確認したいと思うのが普通だろうが、そうしない。これは国民性の違いによる物か?それとも…?

の後は、ソラリスの設定とその状況説明で物語は進んでいく。クリスはソラリスで死んだはずの妻が蘇ったのは、何かの、あるいは全ての「罰」だと言う。自分の任務を遂行する前の禊(みそぎ)的なものか?その後、「罰」という表現から「罰または、サービス」と変化する。これも興味深い。ラストの落ちがこの時点で想像できてしまう。これは衝撃的なラストを監督が狙っていたとしたらミスだと思える。
タルコフスキー監督が生涯を通じて繰り返し愛用した人体浮遊シーン。それは良い。問題はその図書館の無重力シーンの直後だ。いきなり液体酸素を呷って自殺したハリーの場面になる。唐突なので、クリスが状況説明をするまで観客は何の事やら全く解らない。先ほどとは髪型も服装も違うハリーが凍って横たわっているのである。最初は誰?って、思ってしまった。これは演出にしても唐突すぎる。監督の後日談「観客を退屈させるような作風」とは反するのでは無いかとさえ思う。しかしながら、「退屈する作品」では無く「退屈させるような作品」だと言う事かと、納得せざるを得ないシーンだ。
ここからはラスト直前までほぼ駆け足だ。自殺したハリーの蘇生シーン。疲れて眠るクリスの「夢の中」のシーン―夢の中でクリスは、妻であるハリーの事を「お母さん」と呼ぶ。なぜ?―

 覚めたクリスは、同僚のスナウトからハリーの手紙を貰う。読み上げるのはクリスではなくスナウトだが。消えたハリー。消えた「罰」または「罰かサービス」。次にクリスが行うべき仕事は当初からの任務である「ソラリスでの観測研究の続行か中止の判断」だ。このまま他の二人と地球に帰って新しい家族と仕事に就くか、あるいは―――
という訳で、ラストセンテンツとなる。

冒頭の自然溢れる湖と草原のシーン。懐かしい古い家、愛犬。等々をラストの同一シーンとオーバーラップさせながら観て欲しいと思う。そして「雨」のシーン。ここで、クリスが出した答えが解るように作品は作られている。

久しぶりに鑑賞した「惑星ソラリス」。一番初めに観た時は、全くチンプンカンプンだった。いや、寝てしまったので半分しか見ていない。目で服用する睡眠導入剤かと思った。二度目に観た時は、冒頭のハイウェイシーンでコックリコックリしながら、なんとか最後まで鑑賞した。でも、退屈な映画だと言う事と、ソ連の映画という好奇心の目でしか観ていなかった。そして今回。一つ一つのカットやシーンを、自分なりに考え鑑賞できたと思う。難解な作品であるとは思うが、監督はどういう考えでこの作品を作ったのだろうと考えるのが面白い。その方が作品への理解も深まると思うけど…どうかな?

≪2599文字:400字詰原稿用紙7枚≫
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