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ソラリス 2002年アメリカ 鑑賞
監督:スティーヴン・ソダーバーグ
製作総指揮:グレゴリー・ジェイコブズ
製作:ジェームズ・キャメロン
   ジョン・ランドー
   レイ・サンキーニ
脚本:スティーヴン・ソダーバーグ
【キャスト】
 ジョージ・クルーニー:クリス・ケルヴィン
 ナターシャ・マケルホーン:レイア・ケルヴィン
 ヴァイオラ・デイヴィス:ヘレン
 ジェレミー・デイビス:スノー
 ウルリッヒ・トゥクール:ジバリアン


 回鑑賞した「惑星ソラリス」のリメイク。リメイクというか、スタニスワフ・レム著「ソラリスの陽のもとに」の2度目の映画化といった方が正確かもしれない。
同じ小説の映画化ではあるけれど、アンドレイ・タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」とソダーバーグ監督の「ソラリス」で、かなり異なっている。※ソダーバーグ監督と言えば「オーシャンズ」シリーズで有名、最近の作品は2008年に公開された「チェ28歳の革命」「チェ39歳別れの手紙」でもその名声が広がっている。
 基本的に旧ソ連で作られた作品とアメリカで作られた作品という事で、登場人物の名前やキャラクター設定が事なる。タルコフスキー監督の作品は原作と同じだが、ソダーバーグ監督の作品は現在の英語圏に合わせて変えてある。原作で「ハリー」という名の女性が出てくるが、「ハリー」という名前は英語圏では「男性」の名前だ。これでは都合が悪い。また、ソダーバーグ監督の「ソラリス」で「ゴードン博士」と呼ばれる科学者がいるが、自分は男かと思った。後で調べると、「ヘンリー・ゴードン博士」で女性の名前だと解った。国が違うと、難しいものだと実感した。

 ちらの作品も、冒頭で主人公クリスの生活を描いているが、それぞれの監督独自の世界が作られていて面白い。この冒頭のシーンはどちらもラストに関ってくる重要なシーンとなっているが、原作の冒頭には無いシーンだ。※原作の冒頭ではクリスがソラリスの軌道上にあるステーションに着く所から始まる。
 タルコフスキー監督の作品では、クリスとクリスの両親や友人がいて、妻を失って失望しているクリスを見守る生活をしている。元気の無いクリスは突然の雨にうたれても全く気にしないほど自己の中に閉じこもってしまっている。鬱状態かと思う。
 ソダーバーグ監督のクリスは、一人暮らしで独立している。職業は精神科医で毎日同じ独身生活を続けている。こちらのクリスも10年前に失った自分の妻の事を引きずっている。
また、タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」ではクリスは作品中に2回、跪き謝罪をするシーンがある。ソダーバーグ監督の「ソラリス」には無い。
 人物設定の違いは、ストーリーにも影響を与えている。その点で見ればタルコフスキー監督の「惑星ソラリス」の方が原作に近いのかもしれない。細かな所では、どちらにも原作に忠実な所もあるし、どちらにも全く違う箇所もあるが。映像的には「ソラリス」の方が綺麗で美術設定もしっかりしている。時代の差があるのだから当然と言えるが、自分は「惑星ソラリス」の方に魅力を感じる。その魅力は原作で描写されている箇所が、きちっと映像で表現されているという点にある。「ソラリス」では綺麗に絵作りがなされているので、原作の描写から乖離してしまっている感じがする。ストーリーさえしっかりしてれば、どうでもいい様な事ではあるけれど、この作品を世に発表した著者に経緯を表したいとは思う。もちろん現代風にリデザインする事は決して原作を侮辱した事にはならないが。
 以下、ネタバレ含む
星ソラリス」のラストでクリスは父親に跪いて謝罪する。父親はそれを受け入れ、クリスを抱きしめる。このシーンにはセリフは無い。「ソラリス」では、地球の自宅にいて自分の為に料理していると、死んだはずの妻が現れて「全ては許されたの」と、セリフがはいる。はて?ここでいう「全て」とは何だろう?また誰が彼らを許したのだろう?物語に限定して考えれば、「クリスの行動が妻の自殺に繋がった事」「妻の最初のコピーを宇宙に放り出した事」「2番目のコピーがソレを知って、自殺した事※蘇生するが」…どれも、当てはまらないと思うのは僕だけだろうか。「どれも当てはまるけど、特定できない」では無く、どれも当てはまらないように思えるから。ここで言う「許した人(?)」はソラリスの事か?それは絶対に違う。ソラリスは人間とのコミュニケーションをどうやって取るか模索していただけだと思う。許す、許さない以前の問題。もし許さないのだったら、最初から人間を星に近づけなかっただろうし、この作品すら存在しなくなる。では「クリス自身」が「クリス」を許したのか?ソレも考えにくい。
ストの状況を考えれば「ソラリスに降りる事を許された」と考える方が自然だと思うが…そう考えると、ソラリスに人間が降り立つには「試験※または試練」があったと言う事か。「試練」とは「自分の過去の罪に向き合い克服する事」と考えるといいのかもしれない。
僕は、タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」とソダーバーグ監督の「ソラリス」を鑑賞した。しかし残念ながら、原作はまだ半分しか読んでいない。先日ようやく文庫の初版本を手に入れたばかりだ。今、それを読んでいる。本当は読了後にこの記事を書こうと思っていたのだが、情け無い事になかなか読み進まない。言い訳させてもらえば、1977年にハヤカワ文庫で発売(最初は1965年早川書房から発売)された作品で、理解しがたい文章がちょっとだけある。そこに躓いて読み進まない。この辺りの事は後日、読了後に書こうと思う。
 問題は、原作のラストを今の僕はまだ知らないという事。著者であるスタニスワフ・レムが、どのような思いを込めてこの作品を書いたかを知り、2つの映画のそれぞれがどれだけ原作に即しているか、いないかが、僕の価値基準となると思う。原作からどの程度離れているかが解れば、その差が監督や脚本家が加えたメッセージであり、不要と解釈した所になる。それを知る事で、この難解な作品をもう少しだけ深く知ることができるのじゃないだろうかと思っている。それだけ、難しい作品だし、作者のメッセージが複雑だと言う事。
原作を読了しないと、僕にとってのラストはやってこない。原作を読了する事が、僕にとって「許された」って事になるのかもしれない。

≪2563文字:400字詰原稿用紙7枚≫
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テーマ:映画 - ジャンル:映画

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